5/3live

 5/3ドライブイン茂木で行われた、いろのみのライブに行った。

その日はゴールデンウィークの祝日だったが、勤務先に祝日はないので仕事終わりに向かった。退勤して向かうにしても間に合わないことが確定しているので、予約の際に遅れる旨を伝えておいた。

仕事を終え、自車に乗り込むが会場であるドライブイン茂木の場所など知らないので、カーナビに住所を入力したが、どういうわけか茂木町という住所がカーナビに登録情報として入っていなかった。嫌な予感はしていたのだが、やはり大事な時に限っていつものこういうことが起きる。前もってカーナビに入力して試さなかった自分の準備不足でもあるが。結局スマホGoogle Mapを起動して地図情報をカーナビと照らし合わせながら、行き先となる道路を選択した。しかし、次はカーナビのルートガイドがGoogle Mapとずいぶん違う。Google Mapの方がよほど信頼できるので、そちらに合わせる。しかし、途中道を間違えたらしく、逆方向へ出てしまっていることに気づく。急いで道を引き返したが、もうこの時点で2、30分ロスしていた。車いままでで一番急いで走らせたと思う。間に合わないことが確定しているのにさらに遅れるとなるとほとんどライヴが観れないかもしれない。予約をしているので、今更帰ることもできない。会場に来た時には真っ暗になっていた。そのせいでどこがドライブイン茂木なのかわからなかったが、煙がもくもくと炊かれているのがすこし見えたし、車がいくつも並んでいる場所もあったので、適当に止めた。仕事服だったので車内で急いで着替えた。辺りは真っ暗なので着替えても問題はなかった。

 

会場はもともとカフェだそうで外観は1階建の民家のようだった。外に設置された受付には誰もいないが、後ろから男性に声をかけられ、予約の方ですねと確認され、あとで代金を支払ってくれればいいと会場に通された。会場といっても暖簾のように布で仕切られているだけの仕切りのない構造だった。だから会場からの音が外からもよく聞こえる。会場内に入ると電気が点いておらず暗がりで、ろうそくがいくつか立って非日常的な雰囲気があった。会場は部屋くらいの規模だ。壁にかなり大きなキャンバスに破顔した人々の似顔絵が30ほど飾られているのが目についた。前方に長椅子が用意され観客で埋まり、その後ろにも客がいて、全部で50人はいそうだった。思ったよりずっと多い。入ったとき19時15分頃で、開演が18時30分だったので45分は経っている。ちょうど演奏が終わり、いろのみのメンバー磯部氏のMCが始まった。ここで演奏することができて嬉しいといったような内容だった気がする。MC中に、あまりに急いで来たので、自分が着替えの際に車の座席下に敷いている座布団をボトムスの後ろにに引っ掛けてしまっていたらしく、四角の尻尾をつけたみたいな、不思議なファッションをしている人のようになっていたことに気づいた。そのくらい焦った状態だったので、MCの内容はあまり覚えていない。正直急いで来たので早くたくさん演奏してくれという気持ちだった。

 

そして次の曲はこの場所にあった即興をやるということだった。演奏は期待通りで素晴らしかった。ピアノの音がやはりいろのみで、何がなのかうまく表現できないのだけど、倍音というかコーラスというかすこしエフェクトのかかったような音がした。それがいろのみだからなのか、この会場に設置されたピアノの特徴なのかはわからない。磯部氏はMacをいじっているが、全く手元は見えない。逆再生音などがしていた。柳平氏もこちらに背を向けいているので手元が全く見えない。続いて2曲目では磯部氏は、ギターのような形の楽器を弾いていた。曲名はわからない。それが終わると最後の曲だというのでもう終わりかと、悲しくなった。最後の曲は田園。そのころにはリラックスして聴くことができた。曲の途中、ろうそくを灯していたアーティストの河合悠氏が点いていたろうそくを次々と消していき、ついには真っ暗になり、これで演奏できるのかと思ったが変わらず続いた。一度終わり、アンコールでもう一度演奏なのだが、柳平氏が真っ暗だと手元が見えないというので、結局電灯をつけた。そうだよなと思った。曲はあっという間に終わった。本当に終わってしまった。時間は8時頃だし妥当だと思う。でも4曲しか聴いてない。曲はよかった。ほんと曲はよかったけど短い。もっと聴きたかった。悲しい。複雑な気持ち…

 

CD音源とライブとの違いを語るのはありきたりなんだけど、今回の演奏会の場合即興性とか一回性が顕著だと感じて、例えば会場の内外に客がいて外からの声も聞こえる。中には子供も多くて、会場内外の子供の声が演奏中に聞こえてくる。会場内で母に抱かれた子供が動いて鎖のようなものが擦れるサラサラという音がする(これは結構良い音だなと思った)。それとか会場の場所が自然に囲まれた場所にあるのでカエルがゲコゲコと合唱しているのが、結構な音量で演奏中でもずっと聞こえるし、会場の外では焚き火をしていてその匂いがしていた。その日降り続いていた雨がちょうどあがって、特有の湿度があって少し寒いくらいの温度になっている。そうやって演奏にはいろいろな情報がひっついてきて、その場の生の音や音以外の情報でさえ演奏と共に情報として入って来る。それらは演奏と一緒くたになって入って来て、演奏はそれらを全部演奏の一部にしてしまう。この種の音楽は特にそういうことができるというか、得意だ。そんな演奏はこの一回だけなはずで私や観客はそれを聴きに来ているということと、それがこの演奏会が一回きりであることらしさでもあるのだなと思ったのだった。

 

ライブに行く人はいつもそういうものを感じているのだろうか。そういうものに価値を置けるというのはとても豊かだなと思うけれど私がそこに価値を感じているかというと、正直頷けない。少なくともいままでそういうものには重きを置いてこなかった。むしろ好きな音楽家のライブに行くこと、それ自体が目的になっているんじゃないかと感じることが少なくなくて、それをライブ終わりに強く感じることが多かった。その一回限りの演奏に、CDよりも高いライブにCDを聴くのより充実した、大事なものを得ているのだろうか。大事なことなので断っておくけれど今までライブに行って行かなきゃよかったぜと後悔したことはない。だけどその一方でもやもやも感じている。その辺は少し難しいんだけど、目的はもちろん演奏を聴くことで、だけどその生演奏に「生演奏だからこそ」の何かというのを私はあまり感じられていなかったなと思う。深い意味を考える必要はなくて私は単に、ライブに向いてないのかもしれない。例えばフェスが好きだという人はたぶんこんな変なことを考えたりはせずフェスそのもの、屋台とかお祭りみたいな雰囲気とか会場そのものとかキャンプとか非日常的な空間を楽しんでいるんじゃないだろうか。もちろんアーティストのパフォーマンスも楽しみの一つなんだろうけど、その演奏に一回性だとかを求めてはないんだろう。価値とか意味とかとかを気にしすぎて視野が狭くなっている可能性だってある。そもそも音楽が好きな人でもライブは苦手ということもあるだろう。そういえば、坂本慎太郎はライブに行かなくてCDを聴く方が好きと確かソロの2ndアルバムの時のインタビューで言っていた。こだわって作られたCDの完成度に価値を置いているからとかなんとか。スクエアプッシャーはもっとすごくてライブは全く行かないとも坂本氏は言っていた気がする。そういう話が印象に残っているのが私があれこれ考えてしまう理由の一つかもしれない。

 

演奏が終わると、主催者と思われる方が壁に飾られた画を描いた笑達という方を紹介した。ここにあるのは笑達氏がある小学校の卒業の記念として描いたものだと語っていた。飾られている画を描いた経緯はドラマチックで知らないところに人には人の人生があるのだななどと感じた。

 

カフェがオープンして、観客がそのままカフェの客になりにぎわう。いろのみの2人もすぐそこにいてよく見るライブ後の社交をしている。こういうとき、アーティストに声をかけるのはタイミングと勇気が必要だが、ダメだった。そして周りの人はみんな複数で来ているみたいで、疎外感が大きかった。カフェで飯を食うぞと思っていたが、他の人たちもそう考えているらしくて混んでいる。手持ち無沙汰でただただ疎外感があった。ものすごい長い時間待った後、受付に最後に並んでいた自分の番になり、1000円の皐月プレートというものを頼むが(食事できるのはそれしかない)、ちょうど用意が尽きて、時間がかかる言われ2、3分でできると言われた。2、3分というので待っていたが、この時間も疎外感がすごい。みんなそれぞれ、楽しく談笑している。ライブの関係者、このカフェの知り合い、みんなお世話になってますと挨拶に回っていて誰もかれもが関係者だった。それに2、3分と言われたのに2、3分どころではなくてかれこれ10分くらい待たされている。この時間やることがなさすぎて、延々と疎外されている。スマホでもいじれたら良いのだが、運転中Google Mapをずっと開いていたせいかバッテリーがほとんどなかった。ほんとうにつらい。2,3分でできると言った人をちょっと恨んだ。やっぱりライブのこういうとこ嫌なのだと改めて感じた。ようやくできたという皐月プレートを運んでもらい、席は5つくらいしかないので相席で頼むと言われた。女性が2人で食事しているところに通され相席となったが、食べ始めたときには2人はすでに食べ終えていたのですぐに席を立った。でかいテーブルに1人になる。ほかのテーブルはどこも6人がけなどして混んでいるのに、1人なのが滑稽で笑った。夕食にと考えていた皐月プレートは、お洒落なカフェによくありそうなお洒落な見た目だった。素材の味を活かした料理が目立つ。味付けなしの素材の味を活かした玉ねぎやトマト、薄く一口サイズに切られたフランスパン2切れなど。正直1000円にしてはあまりに少ない量だった。お洒落な料理は普段頼むことがないのだが、量や味を知り、なんだかさらに悲しくなった。

 

食べている途中、3名の客が相席する。彼らも関係者だった*1。彼らの話がいやでも入ってきて、それによると音楽好きには有名な音楽家と一緒に仕事をしているようだった。小規模ライブにいる関係者感のある人々というのはだいたい、芸術系の学校やその繋がりで発生するのかもしれないと断片的な情報から推測できた。私が食べ終え、席を立つ時に「どちらから来たのか」と尋ねられたのがきっかけでほんの少し3名の方とお話をした。声をかけてくれた真正面に座っていた方には救われた気がした。話にいろのみやharuka nakamuraといった名前が挙がり、私がKITCHEN. LABELを聴くというとすんなりと伝わってビビった。KITCHEN. LABELがさも知っていて当然のように通じることがあるだろうか。なるほど、こういう単語が通じる相手といるのは相当心地よいだろうなと思った。関係者感のある人々が発生する理由をなんとなく得られた。関係者感のある人と関係を結べば派生していくのも、そういうコミュニティが芸術系の人々の間で発生するのもうなずける。

 

しかし、ほかにどんなアーティスト名を出せばよかったのかわからなくて、知らなかったらどうしようとか、そういうのがまず先行してKITCHEN. LABEL に近いNATURE BLISSも好きだなと思って言おうと思ったが、NATUREがネイチャーなのかナチュラルなのかわからなくなり、断念した。もし間違っていたら恥ずかしいので。そしていろのみとくればzmiもすきなのだが、zmiをずみを読めばいいのか自信がないのでこちらも断念した。flauなら通じそうだと思って出そうかと思ったが読み方はフラウでいいのか?本当に良いのか?とよぎり、さらに断念した。マイナーな音楽あるあるかもしれないが発音することがないので、発音や読み方がわからないということが本当に多い。そのためKITCHEN. LABELの名前しか出さず、おそらく相手は他にどんなのを聴いているのかを自分に尋ねている様子だったのだけど、私が言うのを出し惜しみしたような形で会話が終了してしまった。のちに1人でずっと反省していた。反省中はたくさんのアーティスト名が浮かんできた。皐月プレートを食べたあとは帰宅するだけだった。私はたくさんの女性と輪になって談笑するいろのみの2人を横目に会場を後にした。 

 

*1:彼らがどういう関係者なのかはプライベートでの会話ということもありここでは差し控える